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2026年02月20日

春の気配が、まだ遠慮がちに空気の中に混ざり始めている。

あと1週間で2月も終わり、三月に入れば桜の開花が待ち遠しい季節だ。

そんな折、ニュースでは春闘の話題が増えてきた。

春が近づくと、花だけでなく“賃上げ”の花も咲き始める。

ただ、この花は満開になる前に、冷たい風に吹かれて散ってしまうことも多い。

——社長たちの心の中では、つぼみのまま固まっているのかもしれない。

日本の企業のほとんどは中小企業で、その割合は 99.7%。

そこで働く人は、日本の就労者の約7割、4,000万人以上。

日本中の社長が頭を抱える季節だ。

(この時期は、多くの社長が“同じポーズ”をしている気がする。)

賃金が上がること自体は良いことだ。

ただ、「賃金は労使で決めるもの」と教わってきたはずなのに、

最近は政府が前のめりに「賃上げをお願いします」と言ってくる。

お願いの言葉はやわらかいが、

その背中を押す力はどこから来るのだろうか——

多くの社長は、春が近づく空を見上げながら静かに考えている。

(空に答えなど書いていないのだが…)

賃上げのニュースは明るい。

「今年は 5%超の賃上げ率」と聞けば、

日本全体が春の陽気に包まれているような気さえしてくる。

しかし、その陽気がすべての企業に届いているかというと、そうでもない。

大企業は内部留保も厚く、価格転嫁もしやすい。

一方で、中小企業はというと——

仕入れ値は前年比 8〜12% 上がり、

電気代は数年前より 20%以上 高い。

人手不足で採用コストも増え、

労働分配率は 60〜70%台 に達する会社も少なくない。

さらに昨年の倒産件数は1万件超。

(数字だけ見ると、社長の胃薬の消費量も増えそうだ)

「賃上げをお願いします」と言われるたびに、

その数字が頭をよぎる社長も多いだろう。

従業員のために賃金を上げたい気持ちはある。

ただ、その“元手”がなかなか増えない。

値上げをすればお客さんが離れ、値上げをしなければ会社が苦しくなる。

いつも社長は板挟みだ。

(板挟みというより、もはや“板に挟まれたまま春を迎える”感覚だろう)

無理をして会社がつぶれてしまっては元も子もない。

倒産が増え続ければ、景気そのものも冷え込んでしまう。

賃上げを続けるためには、お客さんから“選ばれる理由”を育てていくしかない。

春が近づき、風は少しやわらかくなった。

それでも中小企業の懐に吹く風は、冷たい。

それでも踏ん張っている社長たちの姿は、どこか健気で、どこか切ない。

気がつけば、桜の開花より、会社の資金繰りが散らないことを願っている。

(桜は散ってもまた咲くが、資金繰りはそうはいかない…)

2026年02月13日

天気予報では、投票日は全国的に厳しい寒さになると言っていた。西高東低の冬型で、等圧線はぎゅっと狭く、あちこちに大雪警報。福岡の最高気温は2℃、雪マークまでついている。

「こんな日に投票に出るのは嫌だなぁ」

そう思い、期日前投票で済ませておこうと考えた。会場は、僕がトレーニングで通っている市民体育館の隣にある区役所。都合が良いので、トレーニング前に寄ってしまおう。

ところが、入口に着くと長蛇の列。係の人に尋ねると「30分ほどかかります」とのこと。

「よし。夕方なら買い物や食事の準備で空いているはずだ」

そう踏んで、トレーニング後に出直すことにした。

しかし夕方、再び向かうと、また同じ長蛇の列。係員の答えも同じく「30分ほど」。一旦は並んだものの、疲れていたこともあり、その日は諦めることにした。結局、投票日当日、雪が舞う中を出かけることになった。

「あ〜寒い〜。なんでこんな日に選挙するんや。北海道や東北の人は大変やろうな〜。雪の降る街を〜♪ ワワワワ〜」

と歌いながら投票場に向かうと、当日もやっぱり長蛇の列。

眉間にしわを寄せて並びながら、考えた。

天気予報という“知識”を頼りに動き、夕方は空いているだろうという経験に基づいた“知恵”も働かせたつもりが、どちらも見事に外れた。

知識とは何だろう。

知識は勉強や読書で手に入り、検索すればすぐに見つかる。数字や事実、手順や仕組み。外から取り込めば積み上がっていく。天気予報のように、誰かが集めて整理してくれた情報を、僕たちは受け取って使う。

一方で、知恵とは何だろう。

知恵は経験の中でゆっくり育つもので、知識のように簡単には身につかない。夕方は空いているだろう──そんな“気配”を読むような力。誰かに教わるというより、日々の積み重ねの中で自然と身についていく。

知識は外から入ってくるもの。

知恵は内側からにじみ出るもの。

どちらが大切かと天秤にかけたくなるが、実際にはそう単純ではない。

知識があったからこそ先に動こうと思えたし、経験があったから改めて夕方に出直した。どちらも外れたが、またひとつ小さな学びが残った。

結局のところ、大切なのは「知識を知恵へと変えていく時間」なのだろう。

読んだこと、聞いたこと、経験したことが、ある日ふと自分の判断に溶け込んでいく。その静かな変化が、日々の選択を少しずつ確かなものにしてくれる。

結局、寒い雪の中を30分も並ぶのであれば、期日前投票で素直に並ぶべきだった──今回の学びはそれに尽きる。

知識や知恵を語る前に、まずは「行列に並ぶ覚悟」を身につけるほうが、僕には必要なのかもしれない。

行列を避けたつもりが、行列に呼び戻されただけの話である。

2026年02月06日

恵方巻という文化は、いつからこんなに全国区になったのだろう。

発祥は大阪を中心とした商人文化で、商売繁盛や無病息災を願い、その年の恵方を向いて太巻きを無言で丸かぶりするという習わしだ。

全国的に火がついたのは、確かコンビニのCMだったと記憶している。

節分の日にスーパーへ行くと、恵方巻が小さなタイヤのように山積みになっている。

その光景はどこか異様で、そして多くの買い物客が験を担ぐように、反射的にかごへ放り込んでいく。

今年の恵方は南南東。その方角を向いて太巻きを丸かじりする人々を想像すると、なんとも奇妙で、少し可笑しい。

僕はあまり験を担ぐほうではないので、恵方巻を食べたことが一度もない。

翌日、愛犬と散歩をしていると、ふと昨日のことが頭に浮かんだ。

ほんのきつめの一言が思いがけず火種になり、些細なことで家人と言い合いになった。

気まずい空気のまま夕飯の時間になり、僕は皿を手に書斎へ引き上げ、ひとりでぶつぶつ文句を言いながら晩酌をした。

翌日、愛犬と散歩をしていると、ふと昨日のことが頭に浮かんだ。

あの喧嘩は、「感覚」と「論理」の違いから生まれたのではないだろうか。

私たちは日々、たくさんの選択と判断をしながら暮らしている。

朝の空気を吸い込んだ瞬間に「今日は良い日になりそうだ」と感じることもあれば、仕事では数字や事実を並べながら慎重に考えることもある。

そんなとき、静かに働いているのが「感覚」と「論理」だ。

感覚は、言葉になる前の“気づき”のようなものだ。

初めて訪れた店で「ここは落ち着く」と感じるとき、私たちは無意識のうちに照明の明るさや空気の匂い、店員の声のトーンなど、細かな情報を一瞬で受け取っている。

初対面の人に対して「この人は話しやすい」と感じるのも同じで、表情や間の取り方といった微細なサインを、身体が先に理解している。

ただ、感覚はときに過去の経験や思い込みに引っ張られる。

「なんとなく嫌だ」という感情の正体が、昔の記憶の残り香だった、ということもある。

一方で論理は、ゆっくりと状況を整理し、形にしてくれる存在だ。

家電を選ぶときに価格や性能、口コミを比較するのは論理の仕事だし、仕事で説明責任が求められる場面では、論理が頼りになる。

数字や事実を積み重ねることで、他の人にも納得してもらえる判断ができる。

ただ、論理にも限界がある。

転職や引っ越し、人間関係の節目など、人生の大きな選択は数字だけでは決められない。

どれだけ条件が整っていても、心が「違う」と告げることがある。

こうして見ていくと、感覚と論理はどちらが正しいかを競い合うものではなく、ただ役割が違うだけだとわかる。

感覚は最初の一歩を示し、論理はその道筋を整える。

どちらか一方だけでは判断は偏ってしまう。

大切なのは、このふたつを行き来することだ。

感覚で「いいかもしれない」と感じたら、論理で確かめてみる。

論理で「正しい」と思えたら、最後にもう一度、感覚に耳を澄ませてみる。

その往復が、判断に深みと安心感を与えてくれる。

どちらかを選ぶのではなく、ふたつを重ねていく。

その積み重ねが、人生の輪郭をやわらかく整えていくのかもしれない。

これからは夕飯前に喧嘩をするのはやめよう。

消化に悪いし、変な酔い方もする。

なにより、季節の節目を思い出す余裕もなくなってしまう。

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