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2025年12月26日

高齢になり一人暮らしをしていたお袋と一緒に暮らし始めて、今年の8月で5年になる。その頃の僕は、お袋の最期を想像することなどできなかった。

7月末からお袋の体調が急激に変化し、慌ただしい日々が始まった。家人は親の介護で沖縄に帰省しており、僕は病院への付き添いや家事に追われ、9月からブログの更新をお休みしていた。それでも、今年最後のブログだけは書き残しておきたいと思い、こうしてキーボードに向かっている。

7月末、お袋の上顎が腫れ、口腔内に出血も見られたため、大袋が通う国立病院の口腔外科を受診した。診察の結果、上顎に腫瘍が見つかり、細胞検査と血液検査を行うことになった。

8月に入り、腫瘍は転移したがんの可能性が高いと言われ、原発を探すためにMRI検査を受けた。血液内科と腫瘍内科も受診し、悪性リンパ腫の可能性が高いとのことだったが、診断は難しく、悪性リンパ腫の診断に長けた名古屋大学医学部に検体を送り、さらに詳しい診断を依頼することになった。お盆明けにはPETや内視鏡検査が続き、がんは全身に転移していることが分かったが、原発は不明のままだった。

9月初旬、名古屋大学から診断がついたと連絡があり、妹とお袋を連れて病院へ向かった。診断は「形質芽球性リンパ腫」。非常に珍しい悪性リンパ腫で、すでにがんが全身に転移しているため、余命は数週間から数か月と告げられた。

「えっ、数週間ですか!? まだ生きるでしょう?」

思わず返した僕に、主治医は静かに言った。

「若い方なら脊髄移植手術を行いますが、お母さんは高齢で体力がありません。また転移も多く、抗がん剤治療もおそらく効果がないでしょう。残された時間を家族や友人と有意義に過ごされるほうが良いと思います。ソーシャルワーカーを紹介しますので、いろいろ相談してください」

お袋は落ち着いた表情で、小さく言った。

「もう年やけん、手術やらきつい治療はせんよ」

その言葉には、家族を心配させまいとする強さと覚悟があった。

ソーシャルワーカーとの面談では、いずれホスピスへの入院を勧められた。お袋は、あるクリスチャン系病院のホスピスを希望した。現役の看護師だった頃に何度か見学したことがあり、心を寄せていたようだ。

自宅に戻り、妹と相談し、お袋と一緒に旅行へ出かけること、妹家族との時間を増やすことを決めた。僕は車いすでも過ごせるクルーズ旅行を検討し、ネットで調べパンフレットを取り寄せた。しかし9月下旬、僕が新型コロナに感染してしまい、お袋はしばらく妹宅で過ごすことになった。その頃には足にもがんが転移し、動くことも難しくなっていた。

10月5日。新型コロナの隔離期間が終わり、お袋が自宅に戻る日にお袋の好物の蟹を食べに行く予定だったが、高熱のため外食は断念。代わりに百貨店でお袋の好物の蟹、イクラ、ウニ、ウナギ、数の子、ケーキなどをたくさん買い込み、自宅で食べることにした。お袋は驚いたように目を輝かせて喜んでくれた。この日から妹は仕事を長期で休み、泊まり込みで介護を続けてくれた。お袋は徐々にベッドから起き上がることも難しくなっていった。

10月9日、お袋はほとんど食事ができず、動くこともできなくなった。前夜には何度もむせたため、訪問看護師に来てもらい処置をしてもらった。朝、僕は急いでお袋が希望するホスピスへ向かった。医師と看護師に状態を説明すると「今すぐ入院したほうがいい」と勧められ、自宅に戻り救急車で搬送することになった。

10月10日。その日は快晴で青空が広がり、爽やかな朝だった。

朝9時、「お母さまの容態が急変しました」と突然連絡が入った。渋滞の中、焦る気持ちを抑えながら病院へ急いだ。病院には10時過ぎに到着。急いで病室に駆け込むと、お袋は顎呼吸をしながら窓の外の青空を静かに眺めていた。

「お袋、俺たちが着くのを待っとってくれたと。ありがとう」

もっと青空がよく見えるようにカーテンを大きく開けると、お袋は小さな声で言った。

「見えとるよ…」

お袋は僕が駆けつけてから最期の時まで、あまり瞬きをせずに青空を見つめていた。

「お袋。悲しませて、心配ばかりかけてごめんね」

お袋の頬に顔を当ててそう声をかけると、呼吸は少しずつ小さくなっていった。

ナースステーションで呼吸と心臓のモニターを見ていたのだろう。看護師さんが病室にやって来て、僕の耳元でそっと告げた。

「今、呼吸が止まりました。心臓はまだ動いていますが…。呼吸が止まっても、心臓は全身に血液と酸素を送ろうと最期まで動いているんです」

しばらくして再び看護師さんが病室に入ってきて、静かに首を振った。お袋の心臓が止まった。

「お袋、今まで本当にありがとう…」

お袋は家族に見守られ、静かに旅立った。11時25分のことだった。89年の人生の幕を、そっと下ろした瞬間だった。

その日から嘘のように残暑が和らぎ、急に秋の気配が訪れた。寒がりだったお袋は、寒くなる前に旅立ったのかもしれない。

あの日の青空を見つめるお袋の姿は、今でも目に浮かぶ。

呼吸は苦しそうだったが、どこか穏やかで、空の向こうを見ているようだった。クリスチャンだったお袋には、迎えに来ていた微笑む天使が見えていたのかもしれない。

診断から旅立ちまでがあまりにも早く、亡くなる前日まで一緒に暮らしていたので、遺影を見るたびにまだ現実を受け入れられない。医者から余命を告げられたあの日、すぐに旅行に連れて行けていたら…という思いが今も胸に残っている。

それでも、あの日々はお袋の強さと愛情を深く感じさせてくれた。お袋が残してくれたものは、別れの悲しみよりもずっと大きく、そして温かい。

「お袋、今まで本当にありがとう。いずれまた会おうね!」

来年、僕は年男だ。お袋の分もポジティブに過ごそう。空を見上げれば、あの日と同じ青空が広がっている。

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