数年前、僕はロシアのサハリンに数人の仲間と旅行したことがある。成田空港からサハリンの州都ユジノサハリンスクの空港まで直行便で2時間半ほど掛かるが、ロシアの航空会社の飛行機は古く、しかも僕の座席のシートベルトは壊れており不安になった。(マジかよ…)あいにく搭乗客が少なかったので僕は他のシートに移った。離陸すると直ぐに大柄で不愛想な女性の客室乗務員が機内食を配り始めた。機内食はサンドイッチとナッツがトレーに置かれた簡単なものだった…。
無事にユジノサハリン空港に着くと、驚いたことに凍った滑走路で降ろされた。(マジかよ…)吹雪の中を空港の到着口まで歩き、入国手続きを終えると古いマイクロバスでホテルに向かった。
ホテルはまるでロッジのようで、決してホテルと呼べるような建物ではなかった。ホテルに到着した時間が遅かったのでホテルのレストランは既に閉まっており、仕方なく簡単な軽食とウォッカをフロントで注文し仲間と部屋で一杯やることに。すると仲間の一人が雪見酒をしようと言い出し、ウォッカを持ってホテルの庭に出た。
外は氷の世界で、気温は-12℃。建物の軒には沢山のツララがぶら下がっており、あまりの寒さで長時間外にいることはできず、部屋に戻り暖かいシャワーを浴びて飲み直すことなったが、仲間の部屋のシャワーから温水は出なかった。(マジかよ…)
翌日、古いマイクロバスでサハリン観光を行った。観光の途中、マイクロバスは故障してしまい走行不能となり、他のマイクロバスに乗り換えた。(マジかよ…)サハリンでは日本の中古車が多く走っており、日本の郵便局や消防署が払い下げた車まで走っている。
サハリン郊外は資源開発施設が多く、市内には大きなショッピングモールがひとつあり、ショッピングモールで多くのロシア人を見た。皆、顔立ちが良く美男美女だが、男性の多くは頭がハゲていた。ロシア人はハゲることに全く抵抗は無いそうだ。
またサハリン市内は以前、日本の領土だったので日本統治時代の歴史的建造物が今も残っており、日本統治時代に建設された樺太庁舎(今は博物館)や製紙工場、それに神社と鳥居も至る所に残っており何とも複雑な気持ちになった。
そして海に出掛けると、驚いたことに海は見渡す限り全て凍っており、凍った海の氷の厚さは2メートルにもなるそうだ。沖には凍った海で航行不能になった難破船が見えた。
その後、レストランでロシアの料理を食べたが、ロシア料理は美味しく日本人の口には良く合う。中でもペリメニと呼ばれるロシアの水餃子とピロシキは美味しくて追加注文した。
旅行を終え、日本へ戻るためユジノサハリン空港に向かった。空港では荷物検査場に検疫探知犬の老いたシェパードが注意深く乗客の荷物の匂いを嗅いでいる。そのシェパードは仲間のカバンに強く反応し吠え始めたので、犬の脇にいた検査官が仲間にカバンを開けるよう厳しい顔で指示した。仲間がカバンを開けると、シェパードはカバンの中に顔を突っ込みビニール袋を咥える。そのビニール袋を検査官が取り上げ中を覗くと、土産に買った沢山のピロシキが入っていた。するとビニール袋にシェパードは噛みつき、中に入っていたピロシキは床に落ちてしまい、シェパードはあっという間に全てのピロシキを平らげてしまった。(マジかよ…)
僕が見たロシアは氷の世界で、飛行機や自動車など全ての物が古く大半は壊れかけており、空港の職員や検疫探知犬は全く訓練されていなかった。ロシア人は美男美女が多いが、皆、不愛想で男性はハゲていた。しかしロシア料理はとにかく美味しかった。
こんなロシアは果たしてウクライナに勝てるのだろうか…?
小国のウクライナはアメリカやヨーロッパ西側諸国から軍事支援を受け、大国ロシアに降伏することなく徹底抗戦している。ゼレンスキー大統領はウクライナ国民に団結を呼びかけ、世界にウクライナの惨状を伝え援助を求めている。またロシアのプーチン大統領にはロシア語で「我々の土地から出て行け!その気がないなら交渉の席に着け!」と、即時撤退か直接交渉を要求している。
経済力、軍事力ともにロシアに圧倒的に劣るウクライナのゼレンスキー大統領は亡命することなく、命を懸けてロシアに立ち向かい、世界に勇気と感動を広げている。
ところで「戦争広告代理店」という本がある。本書は1992年にボスニアとセルビアとの間で起きたボスニア紛争の舞台裏で繰り広げられた情報戦を紹介したドキュメンタリーだ。戦力的に優勢なセルビアに対抗するためボスニアはアメリカのPR会社に広報業務を依頼し、情報戦を展開していく。
業務を担当したPR会社はセルビアによる他民族殺戮をアピールし、「民族浄化」と言うキャッチコピーを使いアメリカの政界や多くの団体にキャンペーンを行い、米国世論ひいては国際世論にセルビアに「悪」のレッテルを貼ることに成功する。そして世界中のメディアはセルビアを「ナチスの再来」と報道し、セルビアは世界からバッシングを受け国連から追放され、終にはNATOに空爆され敗北してしまう。
本書は巧みな情報戦によって戦争で有利に戦えることを証明している。まさに「ペンは剣より強し」だ。
ボスニア紛争の頃は世界中で新聞やテレビが主流メディアだったが、今の時代はインターネットの普及によりSNSを利用しライブで世界に情報を発信することができる。ウクライナのゼレンスキー大統領は巧みにSNSを利用し、自ら世界にウクライナの惨状とロシアに決して屈しない姿勢をアピールすることで世界中から共感を得ている。逆にロシアはウクライナへの侵攻を自国のプロパガンダに利用し、世界には嘘の情報やフェイクニュースを発信し世界中からバッシングを受けている。
今回の戦争もボスニア紛争のように情報戦によってウクライナに勝利をもたらすかもしれない。世界中が固唾を呑んで見守っている。
愛犬Q次郎はロングヘアーのミニチュアダックスで、毛をカットしないと全身の毛は長く伸びてしまう。夏場はQ次郎が熱くないようにペットショップで全身の毛を5分刈りに短くカットしてもらうが、冬場は寒いようなのでカットをせず毛を伸ばしている。先週末、ようやく春めいてきたので毛が伸びたQ次郎の毛を僕がカットしてやることに。
Q次郎は随分と毛が伸び体はモコモコとしており両耳の周りには毛玉もできていた。早速、Q次郎をベランダにあるテーブルの上に乗せ犬用のバリカンでカットを始めた。Q次郎は毛をカットされることが苦手で抵抗するため好物のジャーキーを少しずつ与え宥めながら毛をカットするが、その間、僕は無理な姿勢で腰に負担が掛かる。悪戦苦闘しながらやっと体の毛の半分ほどカットしたところで、突然、僕の腰に激痛が走った。その痛みは以前ギックリ腰になった時と同じ痛みだった。
「あっ…、やってしまった…」
土曜日の午後だったが直ぐに馴染みの整骨院に電話を掛けると、まだやっていると言うので、僕はQ次郎のカットを止め整骨院に急いで向かった。
「実はベランダで犬の毛をカットしていたら、急に腰に痛みが走って…」
「体が冷えたんでしょうね~。とりあえずベッドにうつ伏せになって下さい」
先生は僕の腰をゆっくり指で押しながら腰の辺りを確認していく。
「骨のズレは多少あるのでギックリ腰になる一歩手前ですね。アイシングして腰を冷やしましょう」
僕は30分ほど保冷剤で腰を冷やし、その後、腰をテープで固定され湿布を貼られた。
「1週間は安静にしとかないと、さらに酷くなって痛みは長引きますよ!」
「…」
自宅に戻り痛い腰に手を当てながら玄関のドアを開けると、Q次郎がリビングから駆け寄ってきて尻尾を振りながら僕に飛び付く。
「どこに行っとったと?早く遊ぼう!」
Q次郎はまるで僕にこう言っているようだ。僕はQ次郎にこう言った。
「お前がおとなしく毛を切らさんけん、腰を痛めたと。1週間は安静にしとかないかんけん、一時、遊ばれんと!」
Q 次郎は体の毛の半分をカットされ中途半端な状態だが僕はカットすることを断念した。
中途半端に毛をカットされ、小汚いQ次郎は毎日遊ぼうとせがんでくる。
「…」