早いもので東日本大震災から10年が過ぎた。10年の節目にあたりテレビ局はどの局も当時の映像を使い特集を組んでいた。地震直後に発生した津波の映像は何度見ても驚きと恐怖を感じる。
「大きな津波が近づいています。今すぐ高台に避難して下さい!」
もし僕があの巨大地震に遭い津波警報を聞いたとき、果たして高台に逃げただろうか。今まで経験したことも記憶にもないことが発生した時に、人は即行動に移すことができるのだろうか。
「大津波?まさか?」
「こんな陸地まで津波が来るんやろうか?」
「10メートルの津波?それは大袈裟やろ!」
きっと僕はこう口にするだろう。
町の避難場所に指定されていた小学校の校長先生は津波警報が発令されたとき、校舎の屋上に子供たちを避難させず、直ちに子供たちを小学校から少し離れた高台に避難させた。その小学校は町から避難場所に指定されていたので、多くの町民が避難して来ていたが、子供たちを必死に避難誘導する先生や駆け足で非難する子供たちの姿を見て、町民も高台を目指した。
そして津波警報が出されてしばらくすると、津波は小学校に押し寄せ、あっという間に3階建ての校舎を飲み込んだ。高台に避難した先生と生徒、そして一緒に避難した町民は津波に飲み込まれることなく皆無事だった。
この校長先生は小さい頃から「津波の時は高台に逃げろ」と教えられており、小学校では日頃よりその高台への避難訓練を行っていたそうで、避難場所に指定されていた小学校であっても子供たちを校舎の屋上に避難させず、高台に避難させることを選んだ。たった一人の決断と行動が、子供たちと避難してきた町民の命を救った。もし校長先生が、3階建ての校舎の屋上に子供たちを避難させていたら…。
一人の正しい決断と行動が周りの多くの人に心理的なインパクトを与え集団行動に繋がる。逆に一人の間違った決断と間違った行動により間違った集団行動にも繋がる恐れがある。まさに紙一重だ。
いずれにしてもどちらを選択するのか、日頃の直観力やリスクへの意識、それにフットワークの軽い行動力が必要だ。そして歴史を学び歴史の教訓をしっかりと心に刻んでおかなければならない。
ひと昔前、給与は手渡しで支給されていたようで、随分とお金の重みを肌で感じていただろう。僕が社会人になった頃には給与は銀行振込だったので、給与が手渡しだった頃に比べるとお金の重みを肌で感じることはなかったが、まだ銀行で現金を引き出して使っていたので、お金のお重みを感じることができた。
今も一般的に給与は銀行口座に振込まれるが、お金のデジタル化が進んだことで電車、バスなどの移動の際はカードをかざすだけで料金を支払うことができる。またコンビニやスーパーでもスマホやカードをかざすだけで支払いが完了し、アマゾンなど通販を利用する際も多くがカード払いだ。そのためお金の重みを以前より感じなくなってしまった。そして近い将来、現物のお金を見ることすらなくなり、受取りと支払い時に数字が移動するだけでお金の重みを感じることは全く無くなってしまうだろう。
以前、銀行マンが事務所に尋ねてきて僕にありとあらゆる金融商品を勧め、さらに付き合いで借入をしてくれと頼んできた。その銀行マンは昔ながらの商売スタイルで「お付き合い」や「一先ずは実績を作って…」など時代錯誤の営業トークで僕は呆れてしまった。
借入の必要はなかったので僕は断ったが、銀行マンは熱心に訪ねて来て頭を下げるので、仕方なくその銀行の広告業務の受注を条件にバーターで借入を引き受けた。しかし彼らは約束を守ることは無かった。
これからお金の電子化が加速し金融業界にも大きな変化が起きる。これからは銀行でお金を引き出すことはなくなり、銀行口座に給与が振り込まれる必要もなくなる。代わりカード会社や携帯会社、それにキャッシュレス決済の会社が給与の振込口座になるかもしれない。彼らは多くの人のお金の置き場所で個人のお金の起点になるかもしれない。
「昔、銀行と言うところがあて、そこに紙に印刷されたお金を多くの人が預けていたんだよ。そして銀行を襲って大金を奪う怖い銀行強盗と言う悪い人がいたんだよ」
将来、子共に親が現物のお金を見せてこんな話をしているかもしれない。
「DIE WITH ZERO」この本のタイトルを直訳すると「ゼロで死ぬ」となる。この本は今まで読んだ本の中でもとりわけ印象深いものだった。
アリとキリギリスのイソップ童話を知らない人はいないだろう。夏の間、勤勉なアリは冬の食糧を蓄えるためにせっせと働く。一方、気楽なキリギリスは毎日自由に楽しく過ごす。やがて冬が到来する。冬のためにせっせと働いて準備をしてきたアリは生き残ることができたが、遊び惚けていたキリギリスは寒い冬に食べ物が無く飢え死にしてしまう。この物語はアリのように勤勉に働くことが大切だと教えてくれている。
ところでアリの結末はどうだったのだろうか。アリは短い一生をただ奴隷のように働き死んでいったのだろうか…。この本の前書きはこのような内容で始まる。
人は子供の頃から貯金をすることが大切だと教わり、社会に出るとその教えが身に付いており少しずつ貯金を始める。そして歳を重ねると老後が心配になり、さらに貯金に励み投資も始め老後に備える。やっと引退する年齢になり老後の楽しみに取っておいた夢を実現しようと考えるが、若い頃の様に体力はなく体も思うように動かない。さらに若い頃のような行動力や挑戦する気持ちはなくなり、結局、実現することはできない。その後、お金を使い切ることなく天国へ旅立ってしまう。
日本は70歳まで働くことを企業に責任義務とし、高齢になってからも働くことを推進しているが、70歳で引退してからでは実現できる夢は多くは残っていない。そうならないために高齢になるまでに働かずに済むよう若いうちから計画を立て、お金のための人生ではなく、体が元気なうちに多くのことを体験し充実感と満足感溢れる人生にするべきだろう。この本はイソップ物語に出てくるキリギリスやアリのような人生ではなく、キリギリスとアリの中間でバランスの良い素敵な人生を送ることを勧めている。
僕の周りに良い歳になっても金遣いが荒く夜な夜なはしご酒をして飲み歩いている連中もいる。彼らはキリギリスの一種なのだろうか。逆に良い歳になっても口癖のように「一生現役」と周りに仕事への情熱を熱く語り、現場で働くことに喜びを感じお金を貯め込むことが生き甲斐のような連中もいる。彼らはアリの一種なのだろうか。
お金が無くて飢え死にすることもお金のために生きて死ぬことも決して幸せとは言えない。たった一度の人生だから。