ゴールデンウィークの間、ある本を読んで考え方が大きく変化した。
本の内容は「今」をしっかりと生きることを説いており、過去や未来を余りに多く思考すると、今現在に起きてもいないことまで思考し、恐怖や不安を感じネガティブな思考が自らをコントロールしてしまう。その結果、真の自分ではいられないという。だから思考することよりも真の自分を意識することが大切だと説いている。
真の自分を意識することで真の自分を感じ、肉体と真の自分が合致し、穏やかに自然体で生きることができるそうだ。
また時間はこの世には存在せず、時間は人間が作り出したルールで、未来も過去も虚像で、実は今現在しか存在しないという。「現在」と言う言葉は現実に今在ることを指している。しかし現代人の多くは時間に追われ、また未来と過去をいつも計り未来と過去という虚像に振り回され、「今」、「現在」に集中できていないそうだ。
「今」、「現在」を意識することや、今そこに流れる風、季節の香り、自然の音などを五感で感じ意識することで人間は「今」、「現在」を豊かに生きることができるという。
僕はこの本に触れ、衝撃を受けるとともに、この考え方が素直に腑に落ちた。人間は起きてもいない事ことに心配や不安を感じ、頭の中では常にそのことへの思考が巡っている。また現代は多くの情報に晒され、常にその多くの情報への思考も働いており、自らを意識することを失っている。そのため、現在と真の自分を意識する事もできないのだろう。このことは何と不幸なことではないかと感じてしまった。
「Don’t think. feel!」
ブルース・リーがカンフー映画「燃えよドラゴン」でこう言っていた。
カンフーは古来より中国の寺の僧侶が護身術としていた武道だが、仏の道に人間の真意があるのかもしれない。
written by キムジー
人間は自分に持ち合わせていない魅力や才能を持った人物に憧れを抱く。
憧れには2種類あり、ひとつは憧れた人物をまるで自分の象徴のように想うことで、もうひとつは憧れた人物に少しでも近づくために、その人物を目標にして努力することだ。
前者は無いものねだりをするようなものだが、後者は自ら成長を望むことなので、この両者を比較すると大きく異なる。
周りにも俳優やタレント、それにドラマや映画の主人公に憧れを持つ人間がいるが、その人物の自分にはない魅力や才能に憧れ、無いものねだりをする人間が多く、またその人物への魅力や憧れを自ら語ることで、さも自分にもその魅力があるかのようにアピールしている。どうせ憧れるのであれば、その憧れた人物に少しでも近づくように自ら努力するべきではないだろうか。
僕の歳になれば憧れを抱く人間は減ってしまうが、身近に数人の憧れる人物がいる。僕はその人物に少しでも近づくために、その人物をよく観察し、時には真似て、その人物を超えようと努力し追いかけてきたが、その数名はいつも僕よりも先を走っているので、なかなか追いつくことができない。ひょっとすると、これから先もずっと追いつくことはできないのかもしれない。
しかし憧れの人物に追いついてしまうと、憧れの人物に追いつくための努力をしなくなってしまうので、追いつくことができないほうが良いのかもしれない。
憧れた人物に出会い、その人物に少しでも近づこうと努力する。その努力で人は磨かれていく。ただ単に想い憧れるだけの人間は無いものねだりで、憧れの人物と逆の人間なのだろう。
written by キムジー
人の人生はその本人が主人公であることに間違いない。
だから本人が自分の歩むべき道をしっかり選択し、責任を持って生きていくべきだろう。
しかし周りの恩や義理を破壊し、また人を苦しめたり悲しませたりすると、必ず自分にも同じ苦しみや悲しみが返ってくる。
逆に恩や義理を大切にし、人を思い親切にすると、多くの人から大切にされ良い結果が返ってくる。
「因果応報」という言葉があるが、この言葉は仏教用語で因としての善い行いをすれば、善い結果が得られ、悪い行いは悪い結果をもたらすことを説いている。僕は宗教やスピリチュアルなど深い関心はないが、「因果応報」という言葉とその意味はちゃんと理解している。
「因果応報」の言葉とその意味を親は子供にしっかり教育し理解させないと、子供は多くの人を傷つけ苦しめてしまい同じ苦しみや悲しみが本人に返ってくることになる。その結果、紆余曲折しながら苦しい人生を送ってしまうことになる。
いくつになっても遅いことはないので、少しでも早い時期に「因果応報」という言葉と、その意味をしっかり理解し生きていくことで、自らの人生を良い方向に軌道修正することができる。そして多くの素敵な優しい人に囲まれて幸せになることができる。
以前、ある人からこんな話を聞いた。
その人は「因果応報」という言葉と意味を理解していたが、自らの過失によってある人を傷つけてしまったそうだ。その人は真冬の早朝、数ヶ月の間、滝行に出かけ冷たい激しい滝に打たれることで、同じ苦しみと悲しみを自ら受け罪を償ったそうだ。その人はきっと幸せに生きているだろう。
written by 彦之丞








