中国の新年にあたる春節。例年なら大型連休を利用した中国人観光客で街がにぎわい、どこへ行ってもその波に巻き込まれる。彼らは声も大きいうえ、マナーも悪く、正直、気ぜわしい。
ところが今年は、中国政府が日本への渡航を控えるよう呼びかけた影響で、街は静かだ。
本来なら「静かで有難い」と思うところだが、どうにも落ち着かない。花粉に加えて、早くも黄砂まで飛んできて、目はかゆいし鼻水は止まらない。これまで花粉症とは無縁だったが、黄砂と混ざると途端に手強い。
渡航制限をかけるなら、ついでに黄砂にも制限をお願いしたい——そんなことを考えていた矢先、海の向こうからもっと厄介な“飛来物”がやってきた。
アメリカ最高裁が、トランプ大統領の大規模関税を「法律の範囲外」と判断したのだ。
IEEPA(国際緊急経済権限法)は、どうやら“大統領が好き勝手できる魔法のカード”ではないらしい。
ところが翌日、今度は1974年通商法122条の「貿易赤字の是正」を理由に、最大150日間の一時的関税を課せる規定を持ち出し、10%の世界関税が新たに発動された。
まるで、先生に答案を突き返された翌日に「実は別の答案がありました!」と差し出す子どものようだ。しかも、その“別の答案”の中身は前日とほとんど変わらない。
こうした“やり直し”が続くたびに、世界は振り回される。大国のトップが一枚カードを切るだけで、世界経済が揺れるのだから、スケールが違う。
その波を真正面から受けるのは、企業や各国政府だ。投資判断は先送りになり、貿易は慎重になり、為替や株価は神経質に揺れる。
気分ひとつで会議をひっくり返すワンマン社長の下では会社が落ち着かないように、世界もまた落ち着かない。
トランプ大統領はまるで、ドラえもんのひみつ道具を手に入れたジャイアンが、嬉しさのあまり振り回しているようにも見える。
せめて、空から飛んでくるものくらいは、春の穏やかさを運んでほしい。
そう願いながら、今日もそっと鼻をかむ。
春の気配が、まだ遠慮がちに空気の中に混ざり始めている。
あと1週間で2月も終わり、三月に入れば桜の開花が待ち遠しい季節だ。
そんな折、ニュースでは春闘の話題が増えてきた。
春が近づくと、花だけでなく“賃上げ”の花も咲き始める。
ただ、この花は満開になる前に、冷たい風に吹かれて散ってしまうことも多い。
——社長たちの心の中では、つぼみのまま固まっているのかもしれない。
日本の企業のほとんどは中小企業で、その割合は 99.7%。
そこで働く人は、日本の就労者の約7割、4,000万人以上。
日本中の社長が頭を抱える季節だ。
(この時期は、多くの社長が“同じポーズ”をしている気がする。)
賃金が上がること自体は良いことだ。
ただ、「賃金は労使で決めるもの」と教わってきたはずなのに、
最近は政府が前のめりに「賃上げをお願いします」と言ってくる。
お願いの言葉はやわらかいが、
その背中を押す力はどこから来るのだろうか——
多くの社長は、春が近づく空を見上げながら静かに考えている。
(空に答えなど書いていないのだが…)
賃上げのニュースは明るい。
「今年は 5%超の賃上げ率」と聞けば、
日本全体が春の陽気に包まれているような気さえしてくる。
しかし、その陽気がすべての企業に届いているかというと、そうでもない。
大企業は内部留保も厚く、価格転嫁もしやすい。
一方で、中小企業はというと——
仕入れ値は前年比 8〜12% 上がり、
電気代は数年前より 20%以上 高い。
人手不足で採用コストも増え、
労働分配率は 60〜70%台 に達する会社も少なくない。
さらに昨年の倒産件数は1万件超。
(数字だけ見ると、社長の胃薬の消費量も増えそうだ)
「賃上げをお願いします」と言われるたびに、
その数字が頭をよぎる社長も多いだろう。
従業員のために賃金を上げたい気持ちはある。
ただ、その“元手”がなかなか増えない。
値上げをすればお客さんが離れ、値上げをしなければ会社が苦しくなる。
いつも社長は板挟みだ。
(板挟みというより、もはや“板に挟まれたまま春を迎える”感覚だろう)
無理をして会社がつぶれてしまっては元も子もない。
倒産が増え続ければ、景気そのものも冷え込んでしまう。
賃上げを続けるためには、お客さんから“選ばれる理由”を育てていくしかない。
春が近づき、風は少しやわらかくなった。
それでも中小企業の懐に吹く風は、冷たい。
それでも踏ん張っている社長たちの姿は、どこか健気で、どこか切ない。
気がつけば、桜の開花より、会社の資金繰りが散らないことを願っている。
(桜は散ってもまた咲くが、資金繰りはそうはいかない…)
天気予報では、投票日は全国的に厳しい寒さになると言っていた。西高東低の冬型で、等圧線はぎゅっと狭く、あちこちに大雪警報。福岡の最高気温は2℃、雪マークまでついている。
「こんな日に投票に出るのは嫌だなぁ」
そう思い、期日前投票で済ませておこうと考えた。会場は、僕がトレーニングで通っている市民体育館の隣にある区役所。都合が良いので、トレーニング前に寄ってしまおう。
ところが、入口に着くと長蛇の列。係の人に尋ねると「30分ほどかかります」とのこと。
「よし。夕方なら買い物や食事の準備で空いているはずだ」
そう踏んで、トレーニング後に出直すことにした。
しかし夕方、再び向かうと、また同じ長蛇の列。係員の答えも同じく「30分ほど」。一旦は並んだものの、疲れていたこともあり、その日は諦めることにした。結局、投票日当日、雪が舞う中を出かけることになった。
「あ〜寒い〜。なんでこんな日に選挙するんや。北海道や東北の人は大変やろうな〜。雪の降る街を〜♪ ワワワワ〜」
と歌いながら投票場に向かうと、当日もやっぱり長蛇の列。
眉間にしわを寄せて並びながら、考えた。
天気予報という“知識”を頼りに動き、夕方は空いているだろうという経験に基づいた“知恵”も働かせたつもりが、どちらも見事に外れた。
知識とは何だろう。
知識は勉強や読書で手に入り、検索すればすぐに見つかる。数字や事実、手順や仕組み。外から取り込めば積み上がっていく。天気予報のように、誰かが集めて整理してくれた情報を、僕たちは受け取って使う。
一方で、知恵とは何だろう。
知恵は経験の中でゆっくり育つもので、知識のように簡単には身につかない。夕方は空いているだろう──そんな“気配”を読むような力。誰かに教わるというより、日々の積み重ねの中で自然と身についていく。
知識は外から入ってくるもの。
知恵は内側からにじみ出るもの。
どちらが大切かと天秤にかけたくなるが、実際にはそう単純ではない。
知識があったからこそ先に動こうと思えたし、経験があったから改めて夕方に出直した。どちらも外れたが、またひとつ小さな学びが残った。
結局のところ、大切なのは「知識を知恵へと変えていく時間」なのだろう。
読んだこと、聞いたこと、経験したことが、ある日ふと自分の判断に溶け込んでいく。その静かな変化が、日々の選択を少しずつ確かなものにしてくれる。
結局、寒い雪の中を30分も並ぶのであれば、期日前投票で素直に並ぶべきだった──今回の学びはそれに尽きる。
知識や知恵を語る前に、まずは「行列に並ぶ覚悟」を身につけるほうが、僕には必要なのかもしれない。
行列を避けたつもりが、行列に呼び戻されただけの話である。







