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2026年01月16日

一緒に笑い合った友人が、突然この世を去った。僕より二つ年下で、大学時代からの大切な友人の一人だ。みんなから「きっちぇ」と呼ばれていた。

1月10日の夜、彼の奥さんから突然訃報が届いた。あまりに急で、言葉が出なかった。知らせを受け、家人とともに安置されている葬祭場へ向かい、静かに横たわる彼に手を合わせた。その姿はまるで眠っているようで、現実として受け止められず、涙も出なかった。

奥さんによれば、12月23日に急に苦しくなり救急車で病院へ運ばれたという。肝臓が悪いようでICUで治療を受けていたが、今日、帰らぬ人となった。わずか2週間の出来事だった。以前患った悪性リンパ腫が再発したのかもしれない、とふと思った。

彼との付き合いは約40年。思い出は数えきれない。

学生時代は毎日のように顔を合わせ、夜になれば自然と集まっては、夜更けまで酒を飲み、騒ぎ、語り合った。若さと勢いだけで生きていたあの頃、彼はいつもそばにいた。

酔いつぶれて真っ先に眠ると顔に落書きされるのが恒例で、彼はいつもその標的だった。本人は気づかずそのまま帰り、翌日「なんで誰も教えてくれんやったと〜」と笑いながら怒る姿が、今でも鮮明に思い出される。

また、カラオケで彼が熱唱している間に友人たちがこっそり部屋を抜けて、気づけば彼一人。代金を払う羽目になり、持ち合わせのなかった彼は免許証を預けて帰り、翌日支払いに行ったというエピソードもある。

数年前、うちに遊びに来て一緒に飲んだ帰り、彼は「電車で帰る」と言い張り、自宅とは逆方向の最終電車に乗り、眠ってしまったそうだ。終点で駅員に起こされ、結局タクシーで帰ることになり、僕の家から帰る金額の5倍も払ったという。「なんで逆の方向に乗ったんやろう」と苦笑いしていた。

社会人になってからは会う頻度こそ減ったが、長い休みには旅行やキャンプに出かけ、彼の結婚式では余興を行った。最近では年に二度ほど会っては、昔と変わらない調子で酒を飲み、くだらない話をして笑った。

仕事では苦労も多かったようだが、彼は失敗談を明るく語り、周りへの気遣いを忘れない優しくて繊細な人間だった。誰かが困っていれば自然と手を差し伸べ、場の空気が悪くなりそうなときはいつも和ませていた。そんな彼の優しさに、僕は何度も救われた。

突然の別れは、ある日ふいに訪れる。

昨年もうちで一緒に酒を飲んだが、1年後に彼がいなくなることなど想像もしなかった。最近は身近な別れが続き、また一人大切な人を失った。残された彼の家族のことを思うと胸が痛む。どうか、彼の分もしっかり生きてほしい。僕もできる限り力になりたいと思っている。

1月12日の葬儀の前、学生時代の写真を見返した。顔に落書きされた彼の写真があった。思わず笑い、そして涙があふれた。

「きっちぇ、本当に楽しかったな…。何も心配せんで、天国でゆっくりしてくれ。いずれそっちで楽しく酒を飲もう。」


2026年01月09日

昨年の夏以降、僕はお袋との最期の時間を、一日一日かみしめるように過ごした。その時間は驚くほど短かったが、今も胸の奥で静かな残響のように続いている。同時に、心のどこかにぽっかりと穴が開いたような感覚も残った。

遺品の整理が進み、年末を迎える頃には徐々に日常を取り戻しつつあったものの、2025年に掲げていた目標を振り返る余裕はなかった。だからこそ今年は、あえて目標を立てず、ただ心穏やかに過ごす一年にしようと決めた。

ところが年明け早々、アメリカがベネズエラに奇襲攻撃を仕掛け、マドゥロ大統領が拘束されたという衝撃的な報せが飛び込んできた。ウクライナとロシアの戦争は依然として終わりが見えず、日中関係もぎくしゃくしており、日本は防衛費を増額している。世界には暗雲が垂れこめ、これからどこへ向かうのだろうという不安が、胸の底に静かに沈殿していく。

お袋は先の世界大戦の時代に幼少期を過ごした。この暗雲が垂れこめる世界を見たら、きっと深く嘆いたことだろう。今年こそ、世界が足並みをそろえて平和へと歩みを進める一年であってほしい。

一方で、日本経済にも大きな転換点が訪れている。2025年末、日銀が政策金利を0.75%へ引き上げたことで、日本は長く続いた超低金利の時代から、ゆっくりと“金利のある世界”へ移行し始めた。2026年も賃金と物価の流れが安定すれば追加利上げが検討され、金融環境はこれまでとは違った表情を見せている。

金利上昇は家計に光と影の両方を落とす。預金金利や国債の利回りは改善し、預貯金を持つ世帯には追い風が吹く。普通預金でも0.2〜0.3%の金利がつき、個人向け国債(変動10年)の魅力も増した。「預金にほとんど利息がつかない」時代を知る人にとっては、久しぶりに“お金が利息を生む感覚”が戻ってきたと言える。

逆に変動型の住宅ローンを抱える世帯には注意が必要だ。金利上昇に伴い返済額が増える可能性があり、特に住宅ローン残高の多い40代以下の世帯には負担が重くのしかかる。住宅ローンは家計の中で最も大きな「固定費」であるため、早めに返済計画を見直しておくことが安心につながる。

資産運用の面でも、金利上昇は商品ごとに異なる影響をもたらす。預金や新規の債券購入には追い風が吹く一方、すでに保有している債券は価格が下がりやすく、評価損が生じる可能性がある。株式市場では銀行などの金融セクターは収益改善が期待されるが、借入依存度の高い企業には逆風となる。また、為替は米国の利下げ観測から円高に傾きやすいものの、日銀の姿勢次第では円安に振れる場面もあり、2026年は相場が揺れやすい一年になりそうだ。

世界に暗雲が垂れこめ、日本も変化のただ中にある。そんな時代の入り口で迎えた2026年。潮流を見誤らぬよう耳を澄ませながら、その流れにしなやかに身を委ね、平和を訴え、しっかりと生きていかなければならない。


2025年12月26日

高齢になり一人暮らしをしていたお袋と一緒に暮らし始めて、今年の8月で5年になる。その頃の僕は、お袋の最期を想像することなどできなかった。

7月末からお袋の体調が急激に変化し、慌ただしい日々が始まった。家人は親の介護で沖縄に帰省しており、僕は病院への付き添いや家事に追われ、9月からブログの更新をお休みしていた。それでも、今年最後のブログだけは書き残しておきたいと思い、こうしてキーボードに向かっている。

7月末、お袋の上顎が腫れ、口腔内に出血も見られたため、大袋が通う国立病院の口腔外科を受診した。診察の結果、上顎に腫瘍が見つかり、細胞検査と血液検査を行うことになった。

8月に入り、腫瘍は転移したがんの可能性が高いと言われ、原発を探すためにMRI検査を受けた。血液内科と腫瘍内科も受診し、悪性リンパ腫の可能性が高いとのことだったが、診断は難しく、悪性リンパ腫の診断に長けた名古屋大学医学部に検体を送り、さらに詳しい診断を依頼することになった。お盆明けにはPETや内視鏡検査が続き、がんは全身に転移していることが分かったが、原発は不明のままだった。

9月初旬、名古屋大学から診断がついたと連絡があり、妹とお袋を連れて病院へ向かった。診断は「形質芽球性リンパ腫」。非常に珍しい悪性リンパ腫で、すでにがんが全身に転移しているため、余命は数週間から数か月と告げられた。

「えっ、数週間ですか!? まだ生きるでしょう?」

思わず返した僕に、主治医は静かに言った。

「若い方なら脊髄移植手術を行いますが、お母さんは高齢で体力がありません。また転移も多く、抗がん剤治療もおそらく効果がないでしょう。残された時間を家族や友人と有意義に過ごされるほうが良いと思います。ソーシャルワーカーを紹介しますので、いろいろ相談してください」

お袋は落ち着いた表情で、小さく言った。

「もう年やけん、手術やらきつい治療はせんよ」

その言葉には、家族を心配させまいとする強さと覚悟があった。

ソーシャルワーカーとの面談では、いずれホスピスへの入院を勧められた。お袋は、あるクリスチャン系病院のホスピスを希望した。現役の看護師だった頃に何度か見学したことがあり、心を寄せていたようだ。

自宅に戻り、妹と相談し、お袋と一緒に旅行へ出かけること、妹家族との時間を増やすことを決めた。僕は車いすでも過ごせるクルーズ旅行を検討し、ネットで調べパンフレットを取り寄せた。しかし9月下旬、僕が新型コロナに感染してしまい、お袋はしばらく妹宅で過ごすことになった。その頃には足にもがんが転移し、動くことも難しくなっていた。

10月5日。新型コロナの隔離期間が終わり、お袋が自宅に戻る日にお袋の好物の蟹を食べに行く予定だったが、高熱のため外食は断念。代わりに百貨店でお袋の好物の蟹、イクラ、ウニ、ウナギ、数の子、ケーキなどをたくさん買い込み、自宅で食べることにした。お袋は驚いたように目を輝かせて喜んでくれた。この日から妹は仕事を長期で休み、泊まり込みで介護を続けてくれた。お袋は徐々にベッドから起き上がることも難しくなっていった。

10月9日、お袋はほとんど食事ができず、動くこともできなくなった。前夜には何度もむせたため、訪問看護師に来てもらい処置をしてもらった。朝、僕は急いでお袋が希望するホスピスへ向かった。医師と看護師に状態を説明すると「今すぐ入院したほうがいい」と勧められ、自宅に戻り救急車で搬送することになった。

10月10日。その日は快晴で青空が広がり、爽やかな朝だった。

朝9時、「お母さまの容態が急変しました」と突然連絡が入った。渋滞の中、焦る気持ちを抑えながら病院へ急いだ。病院には10時過ぎに到着。急いで病室に駆け込むと、お袋は顎呼吸をしながら窓の外の青空を静かに眺めていた。

「お袋、俺たちが着くのを待っとってくれたと。ありがとう」

もっと青空がよく見えるようにカーテンを大きく開けると、お袋は小さな声で言った。

「見えとるよ…」

お袋は僕が駆けつけてから最期の時まで、あまり瞬きをせずに青空を見つめていた。

「お袋。悲しませて、心配ばかりかけてごめんね」

お袋の頬に顔を当ててそう声をかけると、呼吸は少しずつ小さくなっていった。

ナースステーションで呼吸と心臓のモニターを見ていたのだろう。看護師さんが病室にやって来て、僕の耳元でそっと告げた。

「今、呼吸が止まりました。心臓はまだ動いていますが…。呼吸が止まっても、心臓は全身に血液と酸素を送ろうと最期まで動いているんです」

しばらくして再び看護師さんが病室に入ってきて、静かに首を振った。お袋の心臓が止まった。

「お袋、今まで本当にありがとう…」

お袋は家族に見守られ、静かに旅立った。11時25分のことだった。89年の人生の幕を、そっと下ろした瞬間だった。

その日から嘘のように残暑が和らぎ、急に秋の気配が訪れた。寒がりだったお袋は、寒くなる前に旅立ったのかもしれない。

あの日の青空を見つめるお袋の姿は、今でも目に浮かぶ。

呼吸は苦しそうだったが、どこか穏やかで、空の向こうを見ているようだった。クリスチャンだったお袋には、迎えに来ていた微笑む天使が見えていたのかもしれない。

診断から旅立ちまでがあまりにも早く、亡くなる前日まで一緒に暮らしていたので、遺影を見るたびにまだ現実を受け入れられない。医者から余命を告げられたあの日、すぐに旅行に連れて行けていたら…という思いが今も胸に残っている。

それでも、あの日々はお袋の強さと愛情を深く感じさせてくれた。お袋が残してくれたものは、別れの悲しみよりもずっと大きく、そして温かい。

「お袋、今まで本当にありがとう。いずれまた会おうね!」

来年、僕は年男だ。お袋の分もポジティブに過ごそう。空を見上げれば、あの日と同じ青空が広がっている。


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