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2019年03月01日

「偶然じゃない。私達は、皆、自分で選んでここに来たの。偶然じゃない。運命なんかでもない。君が今までしてきた選択と、私が今までしてきた選択が、私達を会わせたの。私達は、自分の意思で出会ったんだよ。」

「君の膵臓を食べたい」のフレーズだ。

17年前の2月26日に以前勤めていた会社が突然倒産した。あれから17年も過ぎ随分と時間が経っても当時のことは鮮明に記憶している。
当時、勤めていた会社が倒産したことで、勤めいていた社員やその家族は大きな衝撃を受けた。社員数が300名ほどの会社だったので、社員とその家族を合わせると1,000人以上の人間が衝撃を受け、そして取引先まで含めると2,000人以上の人が衝撃を受けたことになるだろう。

当然、勤めていた社員は翌月から給与が無くなるので緊急事態だ。社員の中には途方に暮れる者、慌てて再就職先を探す者、将来について腰を据えて考える者…。それぞれ生活環境も異なり、それぞれが自分の将来を考えただろう。そして皆、これからの進む道に不安を抱きながら、それぞれが偶然や運命ではなく自ら歩む道を選択し、そして自分の意思で選択した道を歩きだした。
その歩んだ道が間違っていたかもしれないが、歩んでみないとその道が間違えなのかは誰も分からない。しかも歩んだ道と歩まなかった道を正確に比較することもできない。歩んだ道が間違えだったからと、時間を巻き戻して別の道を歩むこともできない。

久しぶりに当時の仲間と当時の行きつけの店に出掛け一杯やるのもいいかもしれない。そして皆にこう質問をしてみたい。

「歩んだ道は間違ってなかったや?」

逆に僕が同じ質問をされるとどう答えるだろうか?

「そうやね~。間違っとったかどうかわからんばってん、あの状況でのベストの選択やった気がする。なんせ型にはまり、群れをなすことが嫌いやし自由になりたかったけん!」

これからも僕は自分の意思で歩む道を選択しなければならない。きっと自分が選択し歩む道に正解も間違えもないのだろう。

written by モンコ


2019年02月22日

常識は時代とともに変化し、いつのまにか非常識に変わっていく。
以前は飲食店で禁煙の店などはほとんど無く、どの店でも当たり前のように煙草は吸えた。またタクシーや電車はもちろん、飛行機にも灰皿が備え付けられており多くの人が煙草を吸っていた。今では逆にタバコを吸える場所を探さなければならないし、タバコを吸うことで肩身も狭い。
また以前は飲食店に入ると、とりあえずビールと決まって頼んでいたが、今ではノンアルコールビールやレモンサワーなどで乾杯する人も多く、率先して酒を飲む人はいなくなった。そして酒を強要することもなくなり町からは酔っ払いがいなくなった。昔を知らない今の若い人たちは今の時代が常識で、昔を知っている僕らは非常識になっていく。

先日、親しい取引先の方と馴染みの寿司屋のカウンターで一杯やりながら、僕がタバコに火をつけた。すると取引先の方は寿司屋のカウンターでタバコが吸えることに驚いていた。
「うちが禁煙にすると、店に来ないって言うんで、仕方ないんですよ」
店の主人は苦笑いしながらそう言うので、僕はこう言った。
「昔は良かったなぁ~」

「昔はよかったよな~」この言葉を口にする人はきっと時代の変化に上手く順応できずに、その変化に窮屈さを感じている人が使う言葉なのだろう。若い頃にこの言葉を耳にすると、「何を古臭いこと言ってんだ」と思っていたが、年を重ねると僕も同じ類の人間だった。
もうすぐ新元号に変わり、また時代が変化し新たな常識が生まれいく。

馴染みの寿司屋の主人は多くの客の声から店を完全に禁煙にするか迷っているそうで、禁煙になってしまうと、僕の出掛ける店がまたひとつなくなってしまう。癪なので、そのうち僕が煙草の吸える寿司屋を始めてみようかと考えてしまう。
「へい、いらっしゃい!」
「うわ、この寿司屋、煙草臭い!!この時代に禁煙じゃない店があるの?」
「うちは煙草を吸うお客さんのための寿司屋なんでね」
「全く常識のない店だ!さっさと出よう!」
「うちは非常識な寿司屋なんで」

非常識な人間がもっと多くてもいいように思う。

written by ジェイク


2019年02月15日

競泳の池江璃花子選手が白血病と公表し、それを受け五輪相のコメントが多くの人に不快感を与えたようでSNSなどで批判が相次いだ。また大阪のラーメン店の店主があるタレントのことをツイッターで呟き、その呟きに批判が相次ぎラーメン店に苦情の電話が殺到する始末。いずれにしても軽率で配慮のない言動は社会から大きく批判される時代だ。軽率な言動を取る人間に問題はあるが、よってたかってSNSや電話でその人間を追い詰めることに違和感を覚える。
「見ざる聞かざる言わざる」と言うが、自分に都合の悪いことや人の欠点や過ちなどは、見ない、聞かない、言わない方が良いという例えだが、現代にも通じる諺だ。

ネットやSNSには多くの情報が溢れているが、「パレートの法則(20:80の法則)」を当てはめると80%は無駄な情報で、その情報に多くの人が群がり電車に乗っている時も歩いている時もスマホをいじりネットやSNSに夢中になっている。
今の時代は周りの人との関係が希薄なので、持て余した時間をネットやSNSを利用し世界と繋がることで安心するのだろう。しかしネットやSNSで繋がる時間をもっと有効に使い、身近な人のための時間や自分を磨く時間に充てるべきではないだろうか。一週間に一日くらいスマホやパソコンを利用しない日があっても良いと思う。たまには青空を眺め風の音に耳を傾けてみることで新たな発見があるかもしれない。

先日、甥っ子がスマホの充電器を忘れたようで僕の充電器を貸してあげると、スマホの機種が違い充電することができず彼は焦っていた。
「別にスマホの充電が切れても死にゃせんよ」
僕は甥っ子にそう言った。

テレビを見ていると、高校生がテレビの取材で答えていた。

「スマホは命の次に大切です。スマホが無いと死んだも同然です」

遂にこの世界は狂い始めたと、僕は耳を疑った。
「死んだも同然なんだ…」
世界中にゾンビが増殖している。

「おい!鬼太郎!」

written by SDB-1


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