引っ越したマンションの駐車場に僕の愛車は収まらなかったので、仕方なく自宅から100メートルほどのところにある月極駐車場を借りた。駐車場が自宅から少し離れたので、近所に出掛ける際は自転車を利用しようと思い、車に積み込めるサイズの折りたたみ自転車を購入した。自転車を購入したのは子供の頃以来で随分久しい。
購入した折りたたみ自転車に乗ると運動不足のためか、足が直ぐに疲れてしまう。そこで運動不足解消のために自宅から約2.5㎞離れた事務所まで自転車で通勤することにした。自転車で通勤を始めて2、3日は足が疲れたが、今では自転車にも慣れ子供の頃のように軽やかに自転車を走らせている。
今はまだ新型コロナウィルスが収まっていないので、混雑した公共の交通機関で出勤するより、のんびりと気候の良いこの時期に風を感じながら自転車で通勤することは心身ともにリフレッシュされる。それに自転車は車と違いどこでも直ぐに止まることができ、興味がある物を見つけると直ぐに自転車を止め近づくことができる。自転車は自動車と違い随分と小回りが利き機動力があることを再確認した。
自転車で通勤してみると今まで気づかなかった発見があった。意外にも僕が通勤していた道路は傾斜があることに気付いた。そこで傾斜のない道を探して自転車で走ってみると、今まで利用しなかった道や小さな公園を発見し、さらに小さなパン屋や雑貨店なども発見することができた。
自転車は公園の中も走ることができるので、通勤途中にある福岡の観光スポットである大濠公園を横切ると、公園の大きな池の水面に太陽の光がキラキラと輝き何とも心地良い。また大濠公園にはカモメがいることも発見した。
折りたたみ自転車は便利で帰宅時に雨が降っていても、タクシーのトランクに自転車を積み込んで帰宅することもできるので、あまり天気を心配することもない。もっと早くから折りたたみ自転車を購入し通勤に利用していればと、少し後悔している。
リタイアしたら愛車1号に折りたたみ自転車の愛車2号を積んで、旅に出ることを計画している。
written by ゴンザレス
「暑さ寒さも彼岸まで」と言うが、9月の連休は随分涼しかったので、誰も住んでいない実家を整理することにした。実家は7LDKと随分広く物で溢れ返っており、その物量を見ただけで途方に暮れてしまう。それでも誰かがやらねばと、折れそうな心を奮い立たせた。
まずは台所から片付けることに。すると食器棚の中から親父が集めた徳利や猪口が山のように出てきた。僕の作業を傍で見ている手伝う気のないお袋に尋ねた。
「どうしてこげん徳利やら猪口があるとね―」
「お父さんは酒が好きやったろーが。出張やら旅行に行くたんびに、必ず徳利やら猪口ば買って来よったったい。あんたいらんね?」
「こげんいらんやろー。俺は日本酒は滅多に飲まんけん」
「じゃ―どうするね?」
「捨てるしかないやろ」
「もったいなかねー」
「なら後でリサイクルショップで売ってくるたい。しかし売れるとかいな…」
台所の片付けが終わり、次に親父が使っていたクローゼットを整理することに。クローゼットを開けると山のように親父の服があった。僕の作業を傍で見ている手伝う気のないお袋に尋ねた。
「何で仕事もとっくに辞めとるのにこげんスーツがあると?」
「ほら、お父さん、物ば捨てきらん性分やろうが、結婚してから洋服ば捨てたことないけん、60年間で買った服が入っとったい。あんた着らんね?」
「いらんばい。俺はスーツは着らんし、服は流行り廃りやらサイズがあるけんリサイクルショップや古着屋でも売れんやろーねー」
「じゃーどうするね?」
「捨てるしかないやろ」
「もったいなかねー」
「なら流行り廃りのないもんば、孫にやったらどうね?」
「そうやねー」
片付けの手伝いに来ていた甥っ子に流行り廃りのなさそうな服を半ば強引に薦め、甥っ子は渋々受け取る羽目に…。
これから実家の片付けはまだまだ続くが、寒くなる頃までには終わらせたい。
ちなみにリサイクルショップに持ち込んだ親父の徳利と猪口の数は250個ほどあり、査定をしてもらうと税込み価格で1,980円だった。お袋に換金したお金を渡すと喜んでいた。
written by 彦之丞
以前もブログで「20:80の法則」を紹介したが、理解していない人が多いので再度紹介しよう。「20:80の法則」は19世紀のイタリアの経済学者であるヴィルフレド・パレートによって提唱された法則で別名「パレートの法則」とも呼ばれる。この法則は物事の結果のうち80%は20%の要素によってもたらされると言うものだ。
パレートは高額納税者の税金を調査すると20%の高額納税者が全体の税金の80%を納め、残り80%の納税者が全体の税金の20%を納めていることに気付き、20%の富裕層が社会全体の富の80%を所有していることが分かった。
このように当初は所得配分に対して用いられる法則だったが、その後、経営やマーケティングなどにも応用できるとされ、ビジネスの領域でも広く使われるようになった。マーケティング分野では「売上の80%は顧客の20%が生み出す」、「売上の80%は20%の商品が生み出している」、「企業の売上の80%は20%の社員で生み出している」とよく言われる。
先日、あるお得意先の販促物の印刷を進めていると、色校正を虫眼鏡で覗かなければわからないほどの細かな画像の傷や汚れをいくつも指摘してくる。しかもその作業を4人で行っていると言うので僕は驚いた。僕は老眼なのでルーペで確認したが、決して気になる傷や汚れではなかった。果たしてこの仕事の進め方は正しいのだろうか。
100%の仕上がりを追求することは大切で素晴らしいことだと思うが、20%の時間と労力で80%の仕上がりを実現できる。100%の仕上がりにするためには残り80%の時間と労力が必要になるので、その時間と労力を多少他の仕事に振り向けた方が効率良く仕事ができるのではないだろうか。仕上がった販促物を手にした消費者がルーペで細部まで確認することはまず無いだろう。
このような文化がその企業の中で広がると全ての部署で同じ考え方が根付き、「20:80の法則」を理解し効率良く仕事をしている社員は仕事の取り組み方ややり方が間違っていると非難される。
「20%の社員が80%の売上を生み出し、20%社員が80%の利益を生む」
この「20:80の法則」の面白いところは80%の売上を生む20%の優秀な社員だけを集めて新プロジェクトや新会社を立ち上げると、その優秀な社員の中で新たに「20:80の法則」が働き20%の優秀な社員とそうでない80%の社員に分かれるという。
ひょっとすると仕事のできない80%の社員は企業にとって必要悪なのかもしれない…。
written by マックス