広告業界では企画やデザインのコンペがよく行われ、僕も若い頃は多くのコンペに参加しプレゼンを行った。コンペはお得意先から声の掛かった複数の広告会社で行われ、お得意先のオリエンで与えられた課題に対し企画を練りプレゼンを行う。その後、お得意先がプレゼン内容は検討し、プレゼンに参加した1社の企画が採用される。しかし多くのコンペに参加して思うことは、オリエンからプレゼンまでの間で勝敗が決まることが多かった。
あるお得意先で年に2回、新聞の全面カラー広告のデザインコンペが行われ、決まって4社の広告会社が参加し、僕も毎回そのコンペに参加した。そのお得意先は世界中に空調設備を製造販売する企業で、オリエンでは毎回、納入実績のあるひとつの国がテーマで与えられ、その国の象徴的な風景などをデザインして提案することになる。お得意先から海外ロケの承認が下りなかったので、画像(フィルム)を借りてデザインを制作するのだが、当時、インターネットは普及しておらず、今のようにネットで簡単に画像を借りることはできなかった。当時、画像を借りるには数万点の画像をカテゴリー別にストックしているレンタルフォトスタジオに出掛け、そこで必要な画像を借りデザインにしていた。レンタルフォトスタジオは画像を借りることで費用は発生しないが、画像を広告物に使用すると費用が発生した。
僕はお得意先のオリエンを受けると、直ぐに福岡の複数の有力なレンタルフォトスタジオに連絡を入れ、お得意先からテーマで与えられた国に関する象徴的な画像を全て予約し差し押さえた。僕は日頃からレンタルフォトのスタッフに差し入れをするなどコミュニケーションを取っていたので、彼らは僕に非常に友好的だった。そして他の広告会社がレンタルフォトスタジオに出掛ける頃にはデザインに使えそうな画像はひとつも残っていなかった。僕はデザインに使用しなかった画像をプレゼンの前日に返却していたので、他社はデザインを制作する時間はほとんど無かっただろう。僕はそのお得意先のコンペで初回は負けたものの、それ以降、一度も負けたことはない。
その後、お得意先にコンペに参加している他の広告会社から僕に対してのクレームが入った。僕と親しかったお得意先は笑いながらこう言った。
「他社からクレームの連絡があったよ。あまり他社を虐めたらいかんよ(笑)」
「すみません(笑)」
先週の金曜日、スポーツクラブでトレーニングをしていると、テレビから安倍前首相が拳銃のようなもので撃たれたと速報が流れた。安倍前首相が凶弾に倒れて死亡するとは誰も想像していなかっただろう。まさに「一寸先は闇」だ。
銃社会ではない日本で自作の銃によって前首相が射殺されるという前代未聞の事件に世界は驚きと深い悲しみに包まれた。森友問題や桜を見る会などの問題で僕は安倍さんにあまり良い印象を抱いていなかったが、安倍さんの死に同情し悲しみを覚えた。
安倍さんが殺害された日、安倍さんは奥さんの昭恵夫人と一緒に朝食を取り、昭恵夫人は元気に安倍さんを自宅から見送った。そして安倍さんが自宅を出て2時間半後に安倍さんが銃で撃たれたと昭恵夫人に知らせが入った。その瞬間、彼女は一体何が起こったのか全く理解できず混乱したのではないだろうか。
葬儀で昭恵夫人は「今も夢のようだ」と語り、出棺の前に安倍さんに頬ずりをしたと報道されていた。彼女のことを思うと胸が痛い。
ところで人は誰も皆、死を迎える。人の死は老衰(自然死)、病死、事故死、自殺、殺人、戦死など千差万別だ。死と言う自ら経験のないことに皆、不安と恐怖を感じ、誰もが穏やかな死を望む。しかし安倍さんのようにある日突然、凶弾に倒れて死ぬこともあり、また今起きているロシアによるウクライナ侵略でも多くの人が犠牲になり戦死している。過去に繰り返し起きた戦争では計り知れないほどの多くの人が犠牲になっている。
死の種類は千差万別だが「覚悟ができている死」と、「覚悟ができていない死」で大きく分けると、「覚悟ができている死」は家族も死に対する心の覚悟ができており、遺品の整理も速やかに行える。逆に「覚悟ができていない死」は突然訪れるため、家族は覚悟ができておらず心のダメージは大きく遺品の整理も大変だ。
安倍さんの死は「覚悟ができていない死」だったので、残された昭恵夫人は心にポッカリと大きな穴が開き、その穴を埋めるには随分と時間が掛るだろう。そして安倍さんの遺品を整理するたびに共に生きてき時間を思い出し悲しみは長く続くことになる。
安倍さんの死に哀悼の意を表するとともに、昭恵夫人の今後の人生が穏やかで幸せな時間に包まれることを心より願っている。また多くの人が不慮の死を迎えることなく、穏やかで静かな死を迎えることができるように願っている。
先週末に発生したKDDI(au)の大規模通信障害は3日間続き、様々なところに影響が及び多くの人が不便で不安な時間を過ごした。
auの携帯電話が繋がらないことで公衆電話には多くの人が列を作り、コンサート会場ではスマホに表示させる電子チケットが表示されず、会場では急遽、フリーWi-Fiスポットを設置する対応に追われた。また救急車を呼ぶために119番にauの携帯電話から電話をしても繋がらず、自宅の固定電話はKDDIの回線だったため、固定電話でも繋がらなかったと言う。混乱は交通事故現場でも起きた。事故発生後にauの携帯電話で警察に電話するが全く繋がらず、事故現場近くの公衆電話から警察に電話したと言う。警察によるとKDDI(au)の通信障害の発生から110番への連絡件数は激減し、公衆電話からの通報が増加したと言う。さらに医療現場では自宅療養している新型コロナ感染者へ健康観察の定期連絡が取れず、医療関係者や保健所の職員、それに感染者に不安が広がった。
今の時代は通信インフラが整備され利用者も通信インフラに依存しているため、通信障害が発生すると社会は大きく混乱し、その影響は想像もしないところまで波及する。
僕が若い頃、携帯電話は存在しなかったが不便に感じたことはなかった。その頃、電話番号はもちろん多くのことを記憶しなければならず、今よりも随分記憶力が高かったように思える。今の時代はボタンひとつで電話番号を携帯電話に登録することができ、何でも携帯電話のカメラを使って記録する時代なので昔に比べて記憶力が低下した。(僕の記憶力低下は年齢によるところが大きいのかもしれない…)
また携帯電話やパソコンでは入力した平仮名やローマ字を漢字に変換し、複数の漢字の中から文字を選択するので、いざペンなどで文字を書こうとすると、漢字が直ぐに頭に浮かんでこないことがある。便利になると逆に失うものも多くある。
年に一日くらいは携帯電話を利用できない日を設けても良いのではないだろうか。そうすることで携帯電話の便利さを改めて理解することができるし、携帯電話から解放され再発見することがあるのかもしれない。今回のKDDI(au)の通信障害で災難に見舞われた人も多くいるが、逆に再発見や新発見があった人もいるのではないだろうか。
今週末は先代の愛犬Q太郎の3度目の命日だ。携帯電話やパソコンには触れず、Q太郎を偲ぶことにする。