先日、親戚からこんな話を聞いた。彼は病院でレントゲン技師として働いているが、近年4月になると、職場でこのような文章が回ってくるらしい。
「新人のスタッフ(看護士)はゆとり教育を受けているため、優しく接してください。決して厳しく接しないで下さい」
理由を尋ねると、厳しく叱ると新人スタッフが辞めてしまうからだと言う。
彼は人命に関わる仕事に就いており、失敗を決して起こしてはならないので、ひどく憤りを感じていた。話を聞いた僕もびっくりしてしまった。
全ての若者がそうだとは思わないが、確かに自らの使命感やミッションを持ち、がむしゃらに前向きな若者は少ないように感じる。どこかのんびりして、ゆとりがあるような…。
僕が若い頃は職場でよく怒鳴られたものだ。僕は怒鳴られるのが嫌だったので、先回りして怒鳴られないように結果を出すために走り回っていた。若いうちは怒鳴られ、尻を叩かれ、走り回ることが大切だと思う。その経験で精神が鍛えられ強くなれるように感じる。
多くの若者がまず頭で考えてしまうようだが、若いうちは体で感じたほうがいい。体で記憶させないとピンチが訪れた時も、ジタバタすることもなくなってしまう。また若い頃に怒鳴られ尻を叩かれ走り回らないと、今後の人生を生きるための大切な出会いのチャンスまでも減ってしまう。どうせ歳を取ると動けなくなるのだから。
彼は病院でどのように新人と接しているのだろう。
「〇〇ちゃん。それは駄目だよ」
「〇〇ちゃん。何度言ったらわかるのかな?」
人間ゆとりがあるとパーになるのかもしれない。
written by 彦之丞
久しぶりに幼馴染みの友人と酒を呑みに居酒屋へ。
彼とは40年の付き合いで、人生80年だとすれば人生の半分を付き合っていることになる。このような間柄で酒を酌み交わすと、気兼ねせずに大変楽で愉快だ。そして瞬間的に幼い頃にタイムスリップしてしまい、当時の話題で大笑いしてしまう。
当時は親から百円程度の小遣いをもらい学校が終わると、いつも駄菓子屋に走りお菓子を買い店の前でたむろしていた。今は仕事が終わると飲み屋に走り酒を呑んでいる。そう考えるとあの頃の習慣とあまり変わっていないように思える。
当時、「フラッシャー」という光るアクセサリーが付いている自転車が大流行していた。スーパーカーが流行したからなのか、自転車の荷台に車のテールランプのような点滅する光る装飾が施されており、フラッシャーのスイッチを入れると、複数のパターンの光りを放つ。またサドルの手前のフレームにはまるで車のシフトレバーのような変速機レバーまで付いていた。
僕の自転車にはフラッシャーなど付いておらず、親に再三せがんだが買ってくれなかった。
父は蝿を払うように僕にこう言った。
「フラッシャー?何かそれ?そんなもん直ぐに飽きる!」
彼とは家がすぐ近所だったので、夕方、遊んだあとの家路をよく一緒に自転車で走った。彼の自転車には最新のフラッシャーが付いていた。彼は「フラッシャー」のスイッチを入れ、フラッシャーをピカッピカッと光らせて走った。僕は内心いつも羨ましく思った。
彼の小学生の頃の夢はレーサーになることだったが、今のところ彼のその夢は叶っていない。しかし今でも彼は自動車やバイクが趣味で、車3台にバイク1台を保有し、更に今月もう1台バイクを買うそうだ。休みは車やバイクを弄り、また長期の休みはバイクでツーリングに出かけている。
今度懐かしのフラッシャー付き自転車を探して、彼にプレゼントしてあげようかな。
written by SDB-1
先日、あるメディアの広告大賞の表彰式に出席するために東京に出かた。表彰式にはナショナルスポンサーの責任者や広告業界の方が多く出席していた。
表彰は各メディア部門などに分かれており、表彰されていた企業の数は約30社。ステージで受賞した広告主が表彰され、それぞれの部門の最優秀広告作品がその場で公開された。
僕の率直な感想は広告出稿量に準じて賞を授与しているように感じられた(笑)。
受賞作品は多額の制作費をつぎ込んで作られたものばかりで、確かに大音響の中、大画面で受賞作品を観ると、中には感心するものあった。
しかし消費者は日常生活の中で広告に接触しており、決してこのような環境や状況で接触しているわけではない。また、多額の広告制作費を費やした作品が表彰されることにどこか違和感を覚えた。
広告は企業や商品の売上拡大を目的に投下されるわけで、その広告で売上がどれだけ増加したのか、また客数が増えたのか、その辺もしっかり検証して欲しいと感じた。いくら広告制作費を掛け素晴しい広告であっても、売上に貢献しないものは全く意味がない。せめて部門の中に売上増加広告部門があっても良いと思う。
グランプリに輝いて大手家電メーカーの作品、テレビ部門で最優秀賞を受賞の飲料メーカーのCM…。結局、広告出稿量はどのくらいだったのだろう。その広告の費用対効果はどうだったのだろう。
また広告を作品と捉え、その作品に賞を贈るのであれば、もっと多くの消費者を審査員として参加させ冷静に客観的に審査をしてもらいたい。
まるで大口出稿スポンサーを持ち上げ、リップサービスをするための表彰式に見えた。
written by マックス