先週のブログ更新で600回になる。毎週、更新しているのでブログを始めて12年、生まれて小学校を卒業する年月が過ぎた。時間が経つのは早いな…。そもそも「ブログ」とは「Web」と「Log」を繋げた略語で、インターネット上に公開された日記や記事を指す。将来、当時の自分が過去に何を考えていたのか、自身で読み返すためにブログを続けている。当面の間はブログを続けよう。
ところで以前も紹介したが、本多静六という人物をご存じだろうか?彼は明治、大正、昭和にかけて林学博士として東京大学で教鞭を執る傍ら、造園家として活躍した人物だ。彼は「日本の公園の父」と呼ばれ、明治神宮、日比谷公園など全国の公園設計に携わり、福岡の中心部にある大濠公園も手掛けている。また彼は東京大学の教授でありながら、巨万の富を築いた人物としても知られ、僕は投資を勉強する中で彼を知った。
彼は貧しい農家の出身で、苦学の末、東京山林学校(のちの東京農科大学、現在の東大農学部)に入学し、一度は落第するも猛勉強して首席で卒業している。その後、彼はドイツに留学しミュンヘン大学で国家経済学博士号を修得。25歳で帰国し東京農科大学の助教授となり、後に教授に昇任している。研究生活のかたわら植林・造園・産業振興など多方面で活躍するだけでなく、独自の蓄財投資法と生活哲学を実践し莫大な財産を築いた。彼は定年退官を期に全財産を匿名で寄付し、戦中戦後を通じて働学併進の簡素生活を続け370冊余りの著作を残している。彼の著書である「私の財産告白」には彼がどのように財産を築いたのか記されている。
彼は幼少時代から貧しく、留学先のドイツから帰国すると東京農科大学の助教授になったが9人の家族を養っており、当時の彼の収入で9人の家族を養うことは楽ではなかった。そこで彼は貧乏生活から抜け出すため、貧しくても容赦なく月収の4分の1を天引きして貯金にまわし、4分の3の月収で生活した。給料前に現金が底をつき家族が音を上げても、彼は歯をくいしばり甘い感情を一切廃しストイックに貯金を続けたそうだ。
そして貯金がある程度の額に達し軍資金ができると、ドイツ留学時に出会った博士の教えに従い独自のルールで投資を始める。すると爪に火を点す思いで貯めたお金は、転がる雪だるまのように増えていった。後年、彼は貯金、投資の他に出費を抑えることも奨励している。貯金を増やしていくうえで、最も毒になるものは「虚栄心」であると戒めている。
この時期は夏のボーナス払いだけではなく、早くも冬のボーナス払いなどと甘い誘惑が街に溢れている。使うことを考える前に、「虚栄心」を捨て増やすことを考えることも必要だ。